スーダン内戦とは?内戦の歴史とスーダン・南スーダンの現状について解説

スーダンでは、1955年~1972年・1983年~2005年の2回に渡り、約40年にもなる内戦が繰り広げられてきました。

このスーダン内戦により、多くの避難民や性暴力・宗教弾圧などが行われ、その影響は今なおスーダンに様々な問題を引き起こしています。

今回は、スーダンの歴史とスーダン内戦についてわかりやすく解説し、現在のスーダン・南スーダンの現状・情勢について紹介していきます。

目次

スーダンとは?スーダンの場所や人口・宗教・民族などの基本情報

まず、スーダンという国は時代によって呼称が異なります。

本記事では、スーダン独立後の1956年~南スーダン分離独立までの2011年のスーダンを『旧スーダン共和国(スーダン)』と呼称します。2011年以降は、スーダン共和国と南スーダン共和国で分けて呼称します。


旧スーダン共和国(現在のスーダン共和国と南スーダン共和国を合わせた国)の位置は、アフリカの北東部に存在した国です。

エジプト・リビア・チャド・中央アフリカ・コンゴ民主共和国・ウガンダ・エチオピア・エリトリアと国境を接している場所にありました。

現スーダン共和国と南スーダン共和国を合わせた土地が、旧スーダン共和国

ウガンダ・エチオピアから流れるナイル川がスーダンを通っているため、豊かな作物が採れる土地です。

当時はアフリカ大陸最大の国土を有し、人口は2011年時点でアフリカ第5位の4466万人でした。

ちなみに2024年現在の人口は、スーダン共和国が4687万人南スーダン共和国が1091万人となっています。


旧スーダン共和国には、アラブ人・ヌビア人・ヌバ人・フール人・ベジャ人・ディンカ族・ヌエル族・シルク族など、約200以上の人種や民族が存在しています。

北部はイスラム教・アラビア文字を主流にするアラブ系住民が多く、南部はキリスト教・英語を主流にするアフリカ系住民が多く居住していました。これが現在のスーダン共和国・南スーダン共和国の分離に繋がります。

スーダンの歴史(スーダン内戦が始まるまで)

スーダン内戦が始まる前までのスーダンの歴史は、『ヌビア王国時代』『4世紀~19世紀』『エジプト統治時代・イギリス植民地時代』『旧スーダン共和国としての独立』の4つに分けられます。

ヌビア王国時代

ヌビア王国は、紀元前26世紀~4世紀まで存在していた王国です。国土は旧スーダン共和国と同じような地域です。

古代エジプトの混乱期に、ヌビア人がスーダンにヌビア王国を設立しました。ヌビア王国はエジプトの影響を色濃く受けており、古代エジプトの宗教(アヌビス神やトート神、ホルス神など)が信仰されていました。

また、『スーダン』の語源はアラビア語のビリャド・エス・スーダン(黒い人の国)で、古代エジプト人たちがこう呼称したことに由来します。(東京都立図書館

4世紀~19世紀

4世紀頃に、ヌビア王国はエチオピアのアクスム王国に滅ぼされました。

エチオピアはキリスト教国家であったため、旧スーダン共和国の土地にもキリスト教が流入し、以降1000年以上キリスト教が信仰されることになります。

7世紀にはイスラム教が勢力を広げ始め、641年にはエジプトがイスラム教国家となりました。以降イスラム勢力からの北スーダンへの侵攻が続き、1317年にイスラム教徒がスーダンの王位につきました。

その後、スーダン北部にはフンジ王国やダルフール王国などのイスラム国家が成立し、イスラム教が広く浸透しました。

この時代に、エジプトの勢力が強かった北スーダンはイスラム教・アラブ人エジプトの干渉を受けにくかった南スーダンはキリスト教・アフリカ人という構図が生まれました。

エジプト統治時代・イギリス植民地時代

1821年、エジプトによってスーダンが征服され、スーダンはエジプトの一部となりました。

1840年には、エジプトがイギリスの植民地となり、スーダンもイギリスの植民地となりました。

その後、マフディーの乱や各地での反乱が相次ぎましたが、最新の兵器と軍を備えたイギリス兵が派兵され、1899年に反対運動はすべて鎮圧されました。

それでもスーダン北部では独立運動が絶えなかったため、イギリスは1922年からスーダンの南北分断統治(The British Southern Policy in Sudan)を実施します。

この統治では、緯度8度より北に住む住民が南へ、緯度10度より南に住む住民が北へ移動することを禁じました。これも後のスーダン内戦の原因の1つになります。

旧スーダン共和国としての独立

第二次世界大戦終了後、アフリカ各国では独立運動が盛んになりました。

スーダンでも北部のイスラム教徒を中心に独立運動が行われ、1956年に旧スーダン共和国として独立しました。

スーダン内戦とは

ここまで、旧スーダン共和国の独立までの歴史を解説してきました。

ここからは、旧スーダン共和国独立直前から始まった、スーダン内戦について詳しく解説していきます。

また、スーダン内戦の過程で発生したダルフール紛争についても解説します。

第一次スーダン内戦(1955年~1972年)

スーダンは、北部がイスラム教でアラブ系、南部がキリスト教でアフリカ系と、北部と南部でアイデンティティーが異なる土地でした。

また、イギリスは北部と南部を分離統治しており、北部では反イギリス・独立機運が高まり、南部では親キリスト教・親西洋の価値観が広まっていました。

旧スーダン共和国独立時、イギリスは北部のエリート層から圧力を受け、北部と南部を統一した『旧スーダン共和国』として独立させることにしました。また、イギリスはスーダンの利権を受ける代わりに、北部のエリート層を優遇し、彼らに過半数の政治権力を与えました

これにより、北スーダンと南スーダンの対立は決定的になりました。


1955年8月18日、スーダン南部の都市トリットで反乱が発生し、そこから次々と南北分離運動が行われるようになりました。

その後、アフリカ最大の国家の利益を享受するため、多くの国が内戦に関与。北部スーダンにはウガンダやリビア・イギリスなどが、南部スーダンにはイスラエルやエチオピア・ケニア・フランスなどが支援しました。

第一次スーダン内戦の様子

1969年、旧スーダン共和国でクーデターが発生し、ジャーファル・ヌメイリが大統領に就任しました。

1972年には、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の下でアディス・アベバ合意が結ばれ、第一次スーダン内戦は集結しました。

これにより、スーダン南部は自治を認められ、独自の憲法・独自の裁判所を持つことができるようになりました。その一方、南部が独自の軍隊を持つことは禁止され、旧スーダン共和国政権の下での自治権となりました。

第一次スーダン内戦は17年間行われ、戦闘員死者10万人・民間人死者40万人を出しました。

第二次スーダン内戦(1983年~2005年)

1960年代、ナイル川上流で降雨量が減少し、渇水の問題が発生しました。

これにより、スーダン北部では水不足と食糧不足が発生していました。一方、スーダン南部は上流のため水が利用しやすく、肥沃な土地による農業が可能でした。

また1974年には、アメリカのシェブロン社がスーダン南部で油田を発見しました。これにより、スーダン南部には大量の原油が埋蔵されていることが明らかになりました。

1983年には、ヌメイリ政権がスーダン全土をムスリム国家にする意向を示し、スーダン南部にもイスラム法(シャリーア)を導入しました。これにより、南部の非イスラム教徒も鞭打ちや軟禁などの罰を受けさせられ、スーダン南部の自治権が大きく損なわれ始めました。

『スーダン南部の豊富な水資源』『スーダン南部の原油』『スーダン南部へのイスラム教の適用』の3つが、北部と南部に軋轢を生じさせ、1983年に第二次スーダン内戦が勃発しました。


内戦が始まると、スーダン南部で原油の掘削を行っていたシェブロン社が撤退。それにより、スーダン全土で深刻な燃料不足が発生しました。

お互いの軍同士の衝突やディンカ虐殺など内戦の犠牲者が増加し、スーダン北部と南部では幾度も和平交渉が行われました。しかし、クーデターや非常事態宣言などで両政権が安定せず、和平が続くことはありませんでした。

第二次スーダン内戦の様子

2002年になり、スーダンの石油資源を求めたアメリカが調停に乗り出しました。

2002年7月27日、旧スーダン共和国のバシール大統領とスーダン南部SPLAのジョン・ガラン最高司令官が初めて会談を実施しました。

2005年1月9日、南北包括和平合意が結ばれ第二次スーダン内戦が終結しました。これにより、スーダン南部の独立を問う住民投票が実施されることが約束されました。

第二次スーダン内戦は21年間行われ、190万人の死者と400万人の難民を出しました。死者のほとんどは、スーダン南部の肥沃な農業地帯が内戦で荒廃したことによる、飢餓と干ばつによるものでした。

ダルフール紛争(2003年~2020年)

ダルフール紛争は2003年に発生した、アラブ系イスラム教徒とアフリカ系イスラム教徒による民族紛争です。

旧スーダン共和国の政府要職はアラブ人で占められていました。その結果、ダルフール地方のアフリカ系民族は、イスラム教徒でありながらも政治的に差別されていました。

2003年2月、スーダン解放軍を名乗るグループが反政府活動に立ち上がり、アラブ人と非アラブ人による民族紛争が始まりました。

ダルフール紛争の様子

この内戦では、アラブ系民兵が非アラブ系の村を襲う「民族浄化」が行われ、多くの非アラブ人が隣国のチャドやリビアに逃れました。

この民族浄化はジェノサイドと見なされ、2005年にはICC(国際刑事裁判所)が旧スーダン共和国のバシル大統領に逮捕状を発行しました。しかし、中国とロシアの拒否権によって逮捕の執行は認められず、バシル大統領は権力を保持し続けました。

また、西側諸国はスーダンに武器輸出を停止しましたが、中国とロシアは武器を供給し続けました。

そして2019年、スーダン共和国でクーデターが発生しバシル大統領が失職。これによりバシル大統領は投獄され、ダルフール紛争は終結に向かいました。

ダルフール紛争は17年間行われ、45万人の死者と200万人の難民を出しました。数百の村が焼き払われ、30万人以上の非アラブ系住民が虐殺されました。

スーダン内戦のその後、南スーダンの独立

第一次スーダン内戦・第二次スーダン内戦・ダルフール紛争など、スーダンでは内戦によって300万人以上の死者と1000万人以上の難民が生じました。

2011年7月9日、スーダン南部で国民投票が行われ、賛成98%で南スーダン共和国の独立が決まりました。これにより、40年以上に渡る南北スーダンの紛争に区切りが付きました。

南スーダン共和国は、7月14日に国連へ加盟し、国際社会からも認められた193カ国目の国家となりました。

スーダンの現状・現在スーダンが抱えている問題

スーダン内戦終結から約20年経った現在でも、内戦の禍根はまだ色濃く残っています。しかし、その情勢はニュースやテレビで取り扱われることはなかなかありません。

2024年現在、スーダン共和国・南スーダン共和国はどのような問題を抱えているのでしょうか?両国の現状・情勢をわかりやすく解説していきます。

スーダン両国が現在抱えている問題

スーダン共和国・南スーダン共和国の両国が共通で抱える問題として、以下の4つが存在します。

脆弱なインフラ

スーダンの土地は、内戦によってほとんどが破壊されてしまいました。

そのため、水や電気・道路といった基礎的なインフラが未発達の状態です。

首都でも停電や断水が起きることは珍しくなく、太陽光を明かりにして手術が行われることもあります。綺麗な水や医療インフラの不足から、はしかやコレラなどの感染症の患者も多いです。

北ダルフール州の医療施設 撮影:国境なき医師団
スーダン共和国南スーダン共和国日本
平均寿命67.1歳58.1歳84.3歳
5歳未満児死亡率5.7%3.1%0.2%
妊産婦死亡率0.3%1.2%0.0025%
スーダン共和国・南スーダン共和国の医療指標データ

物価の上昇・飢餓

スーダンは肥沃な土地に恵まれているにもかかわらず、農業が不調にあります。なぜ農業が不調なのか、その原因は以下にあります。

  • 内戦による農地の破壊
  • 内戦で土地の所有者が曖昧になったことによる、土地の所有権争い
  • 農業機械の不足
  • 耕作地開発のためのインフラの不足

スーダン両国で合わせて約960万人が飢餓状態にあり、南スーダンでは人口の54%が飢餓状態にあります。

食糧の不足は物価の高騰に繋がり、多くの市民がなかなか食べ物にありつけない生活を余儀なくされています。

教育を受けられない子どもたち

スーダンでは、以下の理由から子どもたちへ教育が行き届いていません。

  • 内戦により親世代が教育を受けていないため
  • 内戦により教師の数が圧倒的に不足しているため
  • 食糧不足・インフラの未整備が原因で、子どもが労働力として必要になるため
  • 学校の不足

また、子どもたちのほとんどが教育を受けた経験がないため、勉強の仕方が分からず、親も勉強を教えることができません。そのため、子どもたちの学習スピードが非常に遅いという問題があります。

さらに、女の子は学校に行く事が許されなかったり、在学中に結婚・退学を余儀なくされることも少なくありません。

難民・国外脱出

スーダン内戦が終結した後も、各地でクーデターや紛争が続いています。

スーダン内戦終結後、スーダン共和国では1000万人以上が、南スーダン共和国では230万人以上が難民となっています。

難民の多くはエジプトやチャド・ウガンダ・エチオピア・ケニアなどの国境を接する国々が受け入れています。ただ、これらの国も難民を受け入れ続けるのには限界があり、難民キャンプでは誘拐や性暴力なども報告されています。

スーダン共和国が現在抱えている問題

スーダン共和国が現在抱える問題として、以下の3つが存在します。

スーダン国軍とRSFの間での軍事衝突

2023年4月15日、スーダン国軍と準軍事組織RSFとの間で軍事衝突が発生しました。

スーダン共和国では2021年にクーデターが発生し、統治評議会の議長に軍部派が、副議長にRSF派が着任していました。その後、軍部がRSFを軍に組み込もうとしたことで両者は対立し、武力衝突が発生しました。

2024年現在もこの内戦は続いており、660万人の難民と500万人の深刻な飢えが発生しています。(国際移住機関

アフリカ系女性への性暴力

スーダン共和国では、国民の大多数がイスラム教徒・アラブ人です。しかし、一部地域ではキリスト教徒(コプト教徒)・アフリカ系の住民も存在しています。

このアフリカ系の女性たちが、アラブ系の男性からレイプや性暴力を受けていることが報告されています。

BBCニュース
内戦続くスーダンで相次ぐ性暴力被害、背景にはかつての民族紛争も - BBCニュース 昨年4月以来、国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦が続いているスーダンで、多くの女性が性的暴力の被害にあっている。

またRSFは「戦闘員には女性を襲う権利がある」と発言しており、2023年12月時点でRSFから性暴力を受けた女性は118人以上だとされています。その中には19人の子どもも含まれていました。

スーダンでは、性暴力を受けた女性は不純という烙印を押されてしまうため、性暴力を受けても被害の声を上げる女性は多くありません。そのため、実際の被害者数は報告数よりもかなり多いと考えられています。

悪化する経済状況

2023年のスーダン共和国のGDPは268億ドルで、世界112位となっています。

GDP
(2024)
1人あたりGDP
(2024)
経済成長率
(2015~2024)
経済成長率
(2023~2024)
268.7億ドル546ドル-2.27%-4.2%
スーダン共和国の経済状況(IMFのデータを基に作成)

スーダン共和国のGDP自体は、アフリカの中では高い方なのですが、問題は経済成長率にあります。

2024年現在、スーダン共和国は世界で最も経済が悪化している、ワースト1位の国となっています。

2024年国別GDP成長率(IMF)

経済悪化の原因は、国軍とRSFによる紛争により国民生活が破壊されてしまったためです。

スーダン共和国のGDPは2010年代の半分以下まで落ち込んでおり、未だ回復の兆しは見えていません。


また、スーダン共和国の主要産業は綿花やゴム・畜産・漁業などの第一次産業となっています。

石油や鉱物資源はスーダン南部にあったため、これらの高付加価値産業は南スーダン共和国の独立によって失われてしまいました。

南スーダン共和国が現在抱えている問題

スーダン共和国が現在抱える問題として、以下の3つが存在します。

国内での政治的対立

南スーダン共和国は独立後、ディンカ人のキール大統領派とヌエル人のマシャール前副大統領派での対立が生じました。

2013年と2016年には大規模な武力衝突が発生し、国内政治は不安定な状態が続きました。

2018年にはハルツーム宣言が採択され、2年後の選挙を約束した両者の暫定政府が樹立しました。しかしながら、2024年現在まで未だ選挙は実施されていません。

国政選挙が実施されていない

南スーダン共和国では、以下の理由から独立後現在まで国政選挙が実施されていません。

  • 住民登録のシステムがないため、すべての有権者を特定することが非常に困難
  • 投票箱を安全に保管する場所がない
  • インターネットが繋がらない場所もあるため、票を都市部に運搬して開票作業を行う必要がある

南スーダンの国民は投票によって独立を勝ち取ったことからも、選挙に対する意欲は非常に高いです。

そこで、日本のJICAが5年以上に渡り、選挙運営の支援を行っています

2019年と2022年には、選挙管理委員会の職員向けのワークショップを実施。また、2022年には現地職員が日本を訪れ、日本の選挙管理の方法や主権者教育などを視察しました。

国会議事堂を訪れた南スーダンの研修員たち(JICA)

その成果もあり、2024年12月22日に初めての国政選挙が実施される予定です。

石油頼りの経済

2023年の南スーダン共和国のGDPは65億ドルで、世界152位となっています。

GDP
(2024)
1人あたりGDP
(2024)
経済成長率
(2015~2024)
経済成長率
(2023~2024)
65.2億ドル421ドル-2.14%5.6%
南スーダン共和国の経済状況(IMFのデータを基に作成)

南スーダンでは、国家予算の98%を石油に依存しています。そのため、石油価格が下落すると経済が一気に悪化してしまいます。

また、南スーダンの国内には製油所がなく、内陸国のため港もありません。さらに、石油を生産するための物資の輸入もスーダンの港に依存しています。そのため、石油生産の要所をスーダン共和国に握られている状態です。

スーダンの石油パイプライン

2012年には、南スーダン政府とスーダン政府がパイプラインの使用料を巡って交渉が決裂、スーダン政府が南スーダンの石油を差し止めました。これによって南スーダン政府の資金が枯渇し、2014年にスーダン政府に有利な形で交渉が合意しました。

この教訓から、エチオピアを通りジブチの港へのパイプラインと、ウガンダを通りケニアの港へのパイプラインが計画されていますが、近隣国との調整がうまくいっていないのが現状です。

また、石油依存経済を脱却するため、農業や畜産業にも力を入れていますが、こちらもなかなか成果が出せずにいます。

私たちがスーダンに対してできること

スーダン内戦が終結してから20年、未だスーダンは政治や食糧が安定せず、多くの問題を抱えています。

そんなスーダンに対して、私たちができることは何があるでしょうか?

ここからは、私たちがスーダンのためにできることを3つ紹介していきます。

①:スーダンの現地活動支援に参加する

日本のJICAは、スーダンに最も貢献している国際組織の1つです。スーダンでは、以下のような活動を行っています。

スーダン共和国でのJICAの活動

  • ハルツーム州廃棄物管理強化プロジェクト
  • ダルフール3州における公共サービスの向上を通じた平和構築プロジェクト
日本の定期的ゴミ回収システムを導入し、廃棄物管理・衛生向上を実施

南スーダン共和国でのJICAの活動

  • ジュバ市きれいな水供給プロジェクト
  • 基礎的技能・職業訓練強化プロジェクト
  • ジュバ近郊の平和の定着に向けた生活向上支援プロジェクト
  • HSコード導入による税関能力強化プロジェクト
  • 都市水道公社水道事業管理能力強化プロジェクト
  • ジュバにおける廃棄物管理改善計画
  • アッパーナイル州マラカルタウン社会経済インフラ総合開発及び緊急支援計画策定プロジェクト
原油の輸出がGDPの大半を占めるため、輸出の税関手続き効率化のための研修を実施

JICAは通年で職員採用を行っていますし、JICA海外協力隊では数か月~2年の短期でスーダンの支援活動に参加できますよ。

②:スーダンで活動を行っている団体に寄付を行う

実際に現地で活動を行うのが難しい場合、正しい活動を行っている団体を選んで『寄付』という形で支援する方法も取れます。

寄付先を選ぶ際に大切なことは、きちんとスーダンのために活動している団体を選ぶことです。

スーダンで活動しているNGO・NPOは数多くありますが、その中には資金を身内で流用している団体や、現地で不要とされている支援を一方的に押し付けている団体も存在しています。

その団体の活動内容をしっかりと調べて、自分が適切だと思う団体に寄付を行うことが、スーダンの現状改善に繋がります。

認定NPO法人ADRA Japan

ADRA Japanは、世界120カ国に支部を持つ国際NGO「ADRA」の日本支部です。

ADRA Japanの特徴として、寄付金の多くが現地での事業活動費に当てられている点です。

2021年度の事業報告書では、寄付金の管理・活動報告レポートの作成・人事経費などの一般管理費は寄付総額の10.37%に抑えられていました。

ADRAはスーダンにて、以下の事業を行っています。

  • 難民キャンプにて、ポリオ・コレラの拡大を防ぐためトイレを設置
  • 幼稚園に無料で給食を提供、子どもたちに健康診断を実施
  • 衛生的な水が得られない地域の人へ、水浄化タブレットを配布

公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン

プラン・インターナショナル・ジャパンは、世界70カ国に支部を持つ国際NGO「プラン・インターナショナル」の日本支部です。

プラン・インターナショナルの特徴として、寄付を行うと寄付金が用いられた地域の子ども達から手紙が届く点です。自分の寄付が何に使われたのか、現地の子ども達の言葉を通して知ることができます。

プラン・インターナショナルはスーダンにて、以下の事業を行っています。

  • 学校に通えていない若者たちに、パン作りやサンダル作りなどの技能実習を提供
  • 難民キャンプにて4万人分の食糧キットを配布
  • 妊婦12万人へカウンセリングを実施
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③:スーダンのことを学ぶ、関心を寄せる

簡単に私たちにできることの1つとして、スーダンについての情報を追う、スーダンのことを学ぶことがあります。

スーダン共和国・南スーダン共和国の現状は、なかなかニュースで報道されることはありません

現在の世界情勢はウクライナ戦争やパレスチナ紛争などにフォーカスされていて、スーダンの状況にあまり関心が持たれにくくなっています。

スーダンを見捨てないために、今どんな問題が起きているのか、国民はどのような状態にあるのか、なぜそうした問題が起きているのかなどを知る事が非常に重要です。

下記に、スーダン情勢を学ぶ際におすすめの本を3冊紹介しておきます。

世界で一番若い国 南スーダン入門
世界で一番若い国 南スーダン入門 続編

この2冊は、在南スーダン日本国大使館が制作している本です。どちらもKindle版は無料で公開されています。

  1. 南スーダンに関心を持つ日本の方を増やすこと
  2. 最新の南スーダン基礎情報を発信すること
  3. 南スーダン事情を深く学ぶための情報の入り口を提供すること

をテーマに本著は記されています。続編では、自衛隊のPKO活動や女性・若者支援、前橋市とのスポーツ交流事業などを紹介しています。

なにより、2024年に発刊された本のため、南スーダン共和国の最新の状況を大使館公式の情報源から学ぶことができますよ!

南スーダンに平和をつくる

2015年~2017年まで駐南スーダン大使を務めていた、紀谷 昌彦氏による本です。

南スーダン共和国における、日本の自衛隊のPKO活動やJICA・ODAなどの支援が、実際現地でどの程度有効性があったのかを報告書形式で纏めています。

また、欧米諸国や国際機関と日本の支援手法にはどのような違いがあるのかを比較し、日本だからこそできる平和のための取り組みを考察しています。

まとめ:スーダン内戦の被害は、現在でも色濃く残っている

今回は、スーダンの地理や歴史、スーダン内戦とスーダンの現状を解説してきました。

スーダンはナイル川が通る恵まれた位置にありながら、民族的・宗教的に多くの問題を抱えている土地です。その結果、内戦が引き起こされ、多くの人が虐殺・飢餓・難民となり苦しんできました。

その禍根は今なお残っており、内戦の影響でスーダン・南スーダンともに発展が遅れています。

そのため、スーダンのことを見捨てず、継続的に支援をし続けることが非常に大切です。スーダン情勢を学ぶことで、多くの方にスーダンの現状を知ってもらえればと思います。

ソーシャルエッグでは他にも、社会問題に関する解説記事を掲載しています。また、これらの社会問題に取り組む企業や法人にインタビューを行い、彼らの取り組みや想いについて伺っています。関心がありましたら、ぜひそちらもご覧下さい。

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この記事の編集者

下谷 航希のアバター 下谷 航希 編集長

現在25歳。大学3年生の頃に子ども食堂の運営に携わり、社会貢献をしている人たちが大変な思いをしながら社会貢献活動をしていることを知る。その後、地方創生ツアーやメンタルケアアプリ制作などを行い、2023年に社会課題解決に尽力する人たちの課題を解決するメディア「ソーシャルエッグ」を立ち上げ。現在はソーシャルエッグのインタビューやメディア運営、学生へのソーシャルビジネス講座などを行っている。

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